自分が自分である記号ってなんだべ

例えばネット上で無記名で俺が書きこんだとして、それを見た何人が俺だとわかるんだろう

逆はどうかな

無記名な誰かの書き込みを俺がその誰かだとわかるんだろうか

例えば自分が外見的に自分じゃなくなったとして、それでも自分だと証明できることってなんだろう



と、思った時に



あれ…?


いらなくね…?別に…


って思ってしまったりなんかしたりして←



で、でもまあ一応考えると

こういう場では文章のクセなのかなと

例えば←これとか

文頭によく「例えば」とかつけたがるんだな俺は←これもクセ




あ、あと←この「、」をつけるのもクセ



あとよく箇条書きっぽくしつつ韻を踏んで(るつもり)みたりして


でもまあそういったロジック(そんな大層なもんじゃないが)で人の文章を読んでるわけではないので、これは当たらずとも遠からずってとこなんだろうなあ


っていうのも、そういうロジックに裏付けられた文章全体の雰囲気こそが自分なんじゃないかって思うのだ




そんな曖昧だから、なんとなく「あきぃっぽい」(飽きっぽいみたいでヤだな)でいいんじゃないかとも思う

答えになってないな^^;

そもそも自分であるための記号が外見とか名前なんだから、それがなけりゃアナログ的に理解するしかないんだなあ


あきを





時々考えるんだよな^^;


自分が全く別の人と精神が入れ替わったとして、誰かに自分であることを認めさせるにはどうするかなーって




精神としての自分を維持するのか外見としての自分を維持するのか…でもまあ躍起になるのは最初だけで、きっと時間が解決してくれるんじゃないかとも思う



例えば俺の精神がスズキの中に入ったとして(誰かを連想してください)スズキがいきなり歌いださなくなったり、カラオケで小指を立てなくなったり、ニキビを潰した指でキーボードを触らなくなったとしてもそれは俺である証明にはならず、「なんか最近スズキがおとなしい」としか思われないだろう

そこでスズキ(中身は俺)が俺しか知りえない情報を皆に話して俺だということを主張しだしたとすると、スズキ(中身は俺)はなぜ俺しか知りえない事をこやつは知っているのだ…?ということになり、気味悪がるだろう。
そこでさらにカラオケで電波ソングも歌うようになったとしたらもうこれは末期だとしか思われないだろう。スズキはなんか丸くなったが余計に変態になった、とな。

で、そのうちスズキ(中身は俺)も俺であることをやめ、スズキ+俺であることを始めるのだろう。





ちょっと気持ち悪くなってきたのであきぃは考えるのをやめた。




まあまた暇になれば考えだすんだろうけど。

コメント

メイホン
2009年7月24日23:54

実際は入れ替わるなんて無いと思うけど、そういうのを考えるのは楽しいw

あき
2009年7月25日11:59

そうそう、そうなんだよww

実際はないんだけどね^^

そういうのを考えるのは楽しいのだwwww

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